対談② 中村洋太さん
ライター
早稲田大学在学中に挑戦した横須賀〜鹿児島自転車旅を契機にブログを開設。大学4年時にスポンサーを募り西ヨーロッパ一周自転車旅を実現、旅の記録を配信。大学卒業後は旅行会社の添乗員として世界中を飛び回る傍ら、様々な分野で活躍する人たちへのインタビューを開始。2016年3月、オンラインメディア「My Columnist」を立ち上げ、精力的にインタビューを続けている。
2016年3月に立ち上がった当サイト。友人がFacebookで拡散してくださったところ、不肖・徳橋に「ぜひお会いしてお話をお聞きしたいです!」とおっしゃる人が現れました。それが今回ご紹介する中村洋太さんです。
翌4月に都内で初めて対面し、私がインタビュアーになった経緯をお話しました。しかしメモも録音もされなかったので「これは取材ではないのだろう」と思いきや、中村さんとの2ショットをパシャリ。それが彼流の「インタビューしましたよ!掲載させていただきますよ!」の合図でした。
翌日には記事の下書き原稿が私の元へ。一切メモなどされていなかったにもかかわらず、訂正すべき部分はほぼ皆無 – そんな驚異の記事作成術を見せつけてくれました。
この対談では、スピード感と情熱に満ちあふれた新進気鋭ライターが人と向き合い始めた経緯や、一番大切にしていることについて伺いました。
*インタビュー@渋谷
僕はインタビュアーじゃない
徳橋:中村さんの記事は、普通のインタビュー記事とは違いますし、他の人の取材スタイルとも一線を画しています。僕が一番驚いたのは、メモを一切取らず記憶だけで記事を作られたことでした。その理由は「記録したものを全て記事に反映させたら、すごく平板な内容になるから」。それでメモを取らない代わりに、自分の頭に焼きついたものだけを書くというスタイルを編み出した。これは他の誰にも真似できないと思います。
中村:そうですね。自分の印象に残っている話が一番面白いと思いますから。
徳橋:それに相手の言葉だけでなく、中村さんがその人に対して抱いた印象も加えていくので、“中村さんによる人物紹介”という色合いもあるような気がします。
中村:僕の場合は、あくまで自分が運営しているブログメディア「My Columnist」の中の一つのテーマとして、今日お会いした人のことを書くという感じです。
中村:この対談コーナーで前回ご紹介されていた松尾美里さんから、僕は以前インタビューしていただいたことがあります。
(*記事はこちら→前編 後編)
松尾さんは “人の言葉を忠実に描写していく”真のインアビュアー兼ライターですよね。一方で僕は、相手の言葉に自分の想いや考えを加えて膨らませるスタイルを取っています。だから僕はインタビューライターというよりは、ブロガーだと思っています。
徳橋:でも例えばイケダハヤトさんやはあちゅうさんといった、中村さんと年齢の近いブロガーさんと異なるのは“人を紹介している”ことだと思います。中村さんがインタビューを始めたきっかけは、何だったのでしょうか?
中村:大学4年生の時に行った、西ヨーロッパ自転車一周旅行です。詳しいことは後ほどお話しますが、スポンサーを集めるために企画書を作りました。しかし無名の大学生では信頼が得られないと思い、知人の伝手を辿って全日本選手権やアテネオリンピックで活躍した自転車選手の方に会いに行きました。その方から応援メッセージをいただき、それを企画書に掲載させていただくことで信頼を得ようと思ったのです。
その時にアドバイスを含め様々なお話をお聞かせいただき、それらを文章にまとめてブログで発信しました。すると打ち合わせにご同席した、その選手を紹介してくださった社長さんが「君はまだ大学生なのに、あの話をすごく魅力的にまとめたね」と驚いていました。その選手がおっしゃったことはもちろん、実際には言葉にしていない“行間”の部分も言葉にしたからだと思います。
「もしかしたら僕には、人の話を聞いてそれを発信することが向いているのかもしれない」と、その時に思いました。
人を動かす言葉の力
徳橋:それまで、文章には慣れ親しんでいたのですか?
中村:一番上の兄は、昔から片時も本を離さない人でした。そしてすぐ上の兄は、出版社で文庫本の編集者として働いており、たくさんの本が棚に並んでいました。その中には人の生きる道について書かれたものも多く、学生の頃からよくそれらを手に取って読んでいました。
大学入学後、ちょうどSNSが流行りだしたこともあり、僕も自分のことを発信したいと思うようになりました。最初はmixiに日々のことを書き連ねていただけですが、大学3年の時に地元・横須賀から九州へ自転車で行くことを決め、僕の身の安全を案じた両親のためにブログを立ち上げました。
2700kmを自転車で走破した「ツール・ド・西日本」
提供:中村洋太さん
中村:僕はブログに、旅の記録や出来事、道中で出会った人々について書き込んでいきました。 すると、それが両親から両親の友人、そして僕が全く知らない人にまで「自転車で九州を目指して走っている大学生がいる」と口コミで広がっていき、1ヶ月間の旅を終える頃には約300人の人たちが読んでくださっていました。
いろいろな人からメッセージやコメントをいただきましたが、中でも印象的だったのはある女性からのメッセージでした。
「実はあなたのブログを読んでいました。あなたの挑戦を見ていて、私にも、夢があったことを思い出しました。知らず知らずのうちに諦めていた夢に、もう一度挑戦してみようと思いました。感動をありがとうございました」
徳橋:さぞかし嬉しかったでしょう?
中村:いや、それよりも「何で?」という疑問の方が先に沸きました。だって僕は誰かを感動させようとか、誰かを励まそうと思ってその旅を始めたわけではなく、単純に「日本は、本当に日本地図の通りの形をしているのだろうか?」という好奇心に突き動かされただけです。自己満足で終わる行動のはずなのに、結果としてそれが人に勇気や感動を与えていた。好きなことに本気で取り組むことで、喜んでくれる人がいた。自分の感動が、読者の感動につながった。それを理解できたとき、ようやく嬉しさが込み上げてきました。
そこで考えたのです。「日本国内の自転車旅でこれだけ人に影響を与えられるなら、来年の夏はもっと大きなことに挑戦したい」と。兄がドイツのベルリンに住んでいることや、大学で所属していたオーケストラで和太鼓奏者としてヨーロッパに演奏旅行に行った経験などから、ヨーロッパを自転車で巡ることを漠然と考え始めました。そのタイミングで“若者の海外旅行離れ”という現象を耳にしました。
「これからの日本を築くぼくらの世代が、海外に出なくなったら日本はダメになる」 – 僕は西ヨーロッパ自転車一周の旅の企画書を作り始めました。
徳橋:すごい使命感ですね。
中村:そうかもしれません。僕は企画書を手に会社や個人を周りました。なかには「私が美味しいものを食べたり娯楽に使うよりも、中村さんに使ってもらったほうが“生き金”になるから」と、10万円を振り込んでくれた方もいらっしゃいました。そんな人の温かさに触れながら、自転車とともにヨーロッパへと渡りました。
しかし現地に着いた瞬間から、重圧に押しつぶされそうな日々が始まりました。多くの人たちからお金を受け取っておいて「すみません、疲れたから止めました」などとは、口が裂けても言えません。旅の記録を発信するブログについても、面倒だからと写真1枚を載せただけの記事などアップしようものなら、出資してくれた約300人&15企業の皆さんが納得しないでしょう。
たくさんの人々の思いを胸にヨーロッパを駆け抜けた「2010 ツール・ド・ヨーロッパ」
提供:中村洋太さん
中村:2ヶ月間で12カ国走破の旅。毎日一生懸命走って、観光して、ブログを書きました。僕が一番嬉しかったのは、見知らぬ大学生から「中村さんのブログを読んで、それまで海外旅行に興味が無かったけど、私も海外に行きたくなりました」というメールを受け取ったことです。たった一人かもしれないけど、同世代の若者の心を動かせたことが僕にとってすごく大きな意味があり、「やって良かった!」と報われた気持ちになりました。
気付きながら築く
徳橋:そのように自分の活動をブログに綴り、知らず知らずのうちに他者に影響を及ぼしていた人が、人の話を聞いてそれを伝えることを始めました。でもその作業は、単純に“人が好き”なだけではできないと思いますが、いかがでしょうか?
中村:人からよく聞かれます。「なぜインタビューをしているんですか?」と 。それに対する答えは「素晴らしい活動をしている人を、一人でも多くの人に伝えたいから」です。さらに、あらゆる分野で活躍する人たちをご紹介させていただくだけでなく、一流の人同士をつなげて面白いものを生み出せるような“分野を横断して物事を考えられる人間”になりたいと思っています。
そのために、僕はできるだけ多くの分野の人に出会い、関係を築き、困った時にはお互いに助け合っていけるような体制を築きたい – 僕にとってインタビューは、それを実現するための最高の手段でした。誰かに「お会いしたいです」と言っても「忙しいから」と言われて断られますが、「インタビューさせてください!」と言ったら、応じてくださることも多いのです。インタビューという名の下でお話を聞かせていただけるし、なおかつ記事にすれば喜んでいただける。さらに人の繋がりを築いていくことができます。そこまで含めて、インタビューの魅力だと思っています。
徳橋:激しく同意です!
中村:今思うと少し恥ずかしいですが、僕は中学の卒業文集で「『気付く』ことと『築く』こと」というタイトルの作文を書きました。「朝、通学路を急いで走りながら、ふと後ろを見ると、住宅街の向こうに富士山が見えた。僕はそれを見て、目に見えない、言葉に表せない凄いエネルギーを感じた。生活の中の些細な気付きからも、人は学ぶことができる。そして、日々の気付きがその人を築くのだ」という内容だったと記憶しています。その作文の最後を「僕は人に尊敬されるよりも、誰かを尊敬できる人になりたい。だから人や物の良いところにたくさん気付き、自分を築いていきたい」と締めくくりました。
徳橋:見事なまでに、今の中村さんの活動につながっていませんか?
中村:そうかもしれません。もうひとつ、僕の中に子供の頃からあるのは「人を驚かせたい」という気持ちです。それが「こういうすごい人が世の中にいるんだよ!」と伝えることにつながっているのだと思います。
インタビューは“旅”に似ている
徳橋:中村さんは独自の道を歩まれていると思いますが、中村さんがインタビュー対象に選ぶ人たちも、同じく独自の道を歩んでいますよね。もしかしたらインタビュー相手にご自身を投影させているのではないでしょうか?
中村:そうですね。僕が会う全ての人の中に、僕の要素が含まれています。
たとえば、絵を見て美しいと思うのは、その絵が美しいというよりも、その絵の中に、見る者が共鳴する何かがあるからだと思います。美しさは自分の中にあり、絵が、それに気付かせてくれる。僕が徳橋さんにインタビューさせていただいたのも、徳橋さんの書く文章を読んで美しいと感じる自分がいたからだし、お話を伺うことで得られるものがあると思ったからです。
徳橋:ありがとうございます。インタビューは“学び”の側面が非常に強いですよね。だからインタビューを無償で行うのは、僕はアリだと思います。
中村:そうですね。たとえ今後、スキルを身につけてお金をいただけるようになったとしても、その初心は絶対に大事だと思っています。
インタビューは旅に似ていると思います。旅先で素晴らしい建築を見て、それが持つ歴史や、その背景にある文化を感じる。それと同じように、人のお話を聞くことで相手の中に脈々と流れる歴史を感じるし、その人が今携わっている物事の背景を学ぶことができます。
だから僕は先ほども言ったように、偏らずにあらゆる分野の人に出会いたい。自分の中にある素直な欲求や好奇心に従って行動し、その記録を通して自分の精神性を発信し、世の中をを少しでも明るくしていきたいです。
提供:中村洋太さん
徳橋:中村さんが理想とする世界は、どんな姿をしていますか?
中村:全ての人が自分の自発性に従って活動する世界です。
それぞれが自分の好きなことを本気でやり、なおかつ人に喜びを提供できたら最高ですね。そうすれば争いが少なくなり、世界は良い方向へと進んでいくのではないでしょうか。
だから僕は、まずは自分自身がそのように生きていきたいと思っています。
中村さん関連リンク
My Columnist:clmnist.com/
「My Eyes Tokyo 代表・徳橋功さんが照らす光」(2016年4月5日@My Columnist):clmnist.com/hito07
夢!冒険!ちゃいにっき!~スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅~:ameblo.jp/yotacat/
*ツール・ド・西日本の記録も連載!